得する生活

How to Live a Profitable Life


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あとがき

ハワイの鯨 

 大海原に沈む夕陽を背景に、出産を終えたザトウクジラの群れがアラスカ沖へと帰っていく。そんな夢のような光景に出会った。

 2003年の春に、ハワイ・マウイ島の高級リゾート、カパルアで1週間を過ごした。プライベートビーチと屋外プールのある全室スイートのコンドミニアムで、早朝、小鳥の囀りで目覚めると、窓の向こうに真っ青な海が広がっていた。

 鯨を見たのは、マウイの休日を終えてワイキキへと向かう前日だった。バルコニーのデッキチェアでマイタイを舐めながら、オレンジ色に染まっていく太平洋を眺めていた。夜の帳があたりを覆う瞬間、日没の最後の光の中で、クジラの親子が見事なブリーチング(跳躍)を演じた。

 海岸沿いに並べられた松明に火が灯されると、レストランではジャズバンドによる60年代のヒットメドレーが始まった。漆黒の闇に椰子の樹影が浮かび、かすかに波の音が聞こえる。本書のアイデアは、そんな夜に生まれた。

 ビジネスクラスの航空便でハワイを訪れ、ホテルのスイートルームで1週間のバカンスを過ごせば旅行費用は一人50万円を下らないだろうが、この旅行で私が支払ったのは、食費やレンタカー代を別にすればわずか3万円だった。本文をお読みになった方はおわかりと思うが、航空会社のマイレージプランとリゾート交換ネットワークRCIを併用したのだ。

 空気を乗せても人間を運んでも飛行機に必要な燃料に違いはない。そこで航空会社は、忠誠を誓う顧客に無料航空券を配布する。

 ホテルやコンドミニアムを空室のまま放置しておいても1セントにもならない。だったら、たとえ安い料金でもメンバー間で利用した方がいい。そのネットワークが全世界に広がれば、リゾート会員権の価値が高まり、会員もリゾートクラブも潤う。

 私は何も特別なことをしたわけではない。マイレージもRCIも、システムとルールを知っていれば誰でも利用できる。

  経済学でいう超過利潤とは、何のリスクもなく労せず得られる利益のことだ。

 誰もが知っているように、市場が効率的ならフリーランチの機会は存在しない。だが人間は、常に経済合理的に行動するわけではない。

 厳しい生存競争の中で、企業は顧客の忠誠心を繋ぎ止めるためにさまざまな優待サービスを提供している。その中にはどう考えても存続不可能なものもあるが、大多数の人は有利な機会に気づかないか、そもそも興味がないので、一部の人だけが超過利潤を享受している。その仕組みを上手に利用する知識があれば、タダで昼食にありつくことはそれほど難しくはない。

 もっとも、本書はマニュアル本ではない。この本に書いてあることをそのまま真似しても、「得する生活」が実現できるとは限らない。多くの人が得する方法に気づいた時、市場は効率化し、超過利潤は消滅しているだろう。

   人生を豊かに生きるのにカネはさほど重要ではない。なければ困るが、所有するカネの量に比例して幸福が増大するわけではないからだ。1億円のカネが2億円に増えたとしても、人生が2倍幸福になることはない。

 ヒトは一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいく。経済学的に言うならば、生きるということは、与えられた有限の時間の中で自らの人的資本を最大限に活かし、より多くの効用を獲得することだ。カネはそのための手段であり、それ以上のものではない。

 私たちが生きる自由な社会では、それが法に反しない限り、どのような夢を抱くことも認められている。その夢を実現するために一定量のカネが必要なら、短期間に効率的に獲得することで人生の可能性は広がるだろう。だが、カネそれ自体は何も生み出すことはない。

 たとえ億万長者になったとしても、失われた時間を取り戻すことはできない。いたずらにカネを増やし、老いて死んでいくだけの人生は幸福だろうか? 

 哲学者ヘーゲルは、生きる目的は他者の承認を得ることにあると言う。カネは、名誉や尊敬や愛情から見放された人間に与えられる代償である。 

 幸福をカネで購うことはできない。これは紛れもない真実だ。だからこそ、無駄なことに貴重な時間を費やしている余裕はない。 

 経済合理的に生きる意味はここにある。

  2003年10月 橘 玲


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