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馬渕 一氏インタビュー
馬渕 一(Hajime Mabuchi)ハンドル名「はっち@シアトル」1948年大阪生まれ。1997年からプロのデイ・トレーダーとしてアメリカ・ワシントン州シアトルでトレーディングを続け、独自のスタイルを確立。1999年9月にプリスティーン・ノースウェストを設立。 デイトレードネット(Daytradenet.com Inc.)CEO。 ――10月の来日講演会、300人以上が集まって大盛況でしたね。 馬渕 あんなに多くの方に来ていただけるとは思っていませんでした。日本も10月1日からの株式手数料自由化やオンライン証券会社の登場によって、これから急速に、コンピュータ・ネットワークを使った株式投資が普及してくるかもしれませんね。
――ところで、馬渕さんは日本人では数少ないプロのデイ・トレーダーで、メディアワークスから刊行された『DT/デイ・トレーダー』がベストセラーになったことで、すっかりこの世界では有名人になられたわけですが、そもそもどのような経緯で、アメリカで暮らすようになったんでしょうか?
馬渕 最近、そんなことをよく聞かれるんですが、私の場合、12年周期で職業が変わっているんですよ(笑)。最初はミュージシャン、次が不動産業者、そして現在のトレーダーです。 ――ミュージシャンですか!? 馬渕 大学時代にバンドを組んでいて、当時行なわれたヤマハ・ライトミュージック・コンテストの西日本大会で優勝したんです。これはロック・ポップス系では権威のある賞で、そこでスカウトされて、東京に出たんです。 ――なんていうバンドだったんですか? 馬渕 マニアな人しか知らないと思うけど、フィー・フィー・ザ・フリーという名前で活動していました。泥臭いフォークじゃなくて、ジャズっぽい音を出していたから、あんまり売れなかったなあ(笑)。「お前らはアイドル系じゃない」という理由で、米軍キャンプを回ったりもしてました。ただ山下達郎が僕たちのファンだったそうで、「影響を受けたミュージシャン」の中に入っているんですよ。 ――それはすごいですね。楽器は何を担当してたんですか? 馬渕 最初はギター、それからフルートです。キーボードもやりましたけど。 ――フルートとは、ずいぶん変わってますね。 馬渕 ええ。当時はアレンジも自分でやっていたから、こっそりフルートのパートを入れたりしてました(笑)。 ――音楽の仕事をやめた理由は何ですか。 馬渕 30歳前後の時に東京音楽祭に出演したんですが、そのとき、アメリカのプロのミュージシャンと競演して、「こいつらにはとてもかなわない」と思ったのがきっかけですね。こっちは頭で考えて音楽やるけれど、彼らは身体から入っていく。この差は、どうしようもありません。そこでミュージシャンだけの人生ではつまらないと、大阪に帰ったんです。東京に出てきたのが20歳の時だから、ちょうど12年目です。 ――大阪に戻られて、何を始められたんですか? 馬渕 最初は地元の音楽学校で教えていたりしたんですが、父親が不動産を持っていて、片手間でその手伝いをするようになったんです。テナント管理みたいな仕事ですね。ところがやり始めると、これがなかなか面白いんです(笑)。その当時からコンピュータは好きだったので、今では考えられないような旧式のマシンを使って、経理関係の管理ソフトを自作したりしていました。 そのうち、不動産開発のような仕事も始めました。土地を買って、その上にビルを建てて、テナントを集めるというビジネスです。そうすると、いろんな契約書が必要になるでしょ。そこで、こうした契約書をテンプレートにして、ワープロソフトに組み込んだら便利なんじゃないかと思いついて、ソフト会社をつくりました。
――ミュージシャンから、いきなりビジネスの世界に入られたわけですね。そのソフト会社はどうだったんですか?
馬渕 儲かったり損したり、という感じですね。最後は、テンプレートの権利をマイクロソフトに売却して解散しました。だから、今のWordで使っているビジネス・テンプレートの一部は、僕の会社でつくったものなんですよ(笑)。 ――それはすごい(笑)。ところで、アメリカとの縁はどこでできたんですか? 馬渕 ずっと不動産開発の仕事を手伝ってきたんですけど、バブルの頃に、不動産が高すぎると思い、海外の不動産を検討しようということで、僕がその担当になった。その時、コンサルタントに聞いたら、「シアトルかシドニーだ」といわれ、シアトルってどんなところだろうと、見にきたわけです。シドニーに先に行っていたら、今頃はオーストラリアに住んでいたかも知れない(笑)。 ――シアトルでのビジネスはどうでしたか? 馬渕 かなり、うまくいきましたよ。実は、日本で英語を教えてもらっていたジェスというアメリカ人の友人がいるんですが、彼の奥さんがたまたまシアトル出身で、ジェスも僕と同じ頃に、シアトルにやってきた。そのジェスや奥さんが地元の不動産業者から情報を集めてきてくれて、「ハジメ、日本人は高値で不動産を買いあさっているから、気をつけろ」と教えてくれるんです。そのお陰で、高値で不動産を買わなくてもすんだのです。 けっきょく、日本でいうマンションを2棟ほど所有して、かなりの利益をあげることができました。ちなみに、このジェスが後に、僕をデイ・トレードの道に誘ってくれるわけです(笑) ――本に出てくるJ氏ですね(笑)。なんでも空手の有段者だとか。 馬渕 そうですよ。日本語もかなりしゃべれます。 ――最初からずっとシアトルに住もうと思っていたんですか? 馬渕 いや、はじめは日本とシアトルをせっせと往復していました。正月と夏休みを除いて、年に10回はアメリカに行ってましたね。そのうちだんだんシアトルの方がよくなって、家族を説得し、アメリカに移ってきたんです。昔から、いちどはアメリカで暮らしてみたいという気持ちもありましたし。それが42歳の時で、ミュージシャンをやめてからやはり12年後です。 ――シアトルに移ってからは、何をされていたんですか? 馬渕 最初はやはり、所有している不動産の管理ですね。その後、「もう働くのはいいかな」と思って、48歳の時に不動産管理会社の経営権を実家に返して、リタイアすることにしたわけです。それでリタイア後になにをしようかと考えていたときに、ジェスがデイ・トレードに誘ってくれた…… ――そこから、本の話につながるわけですね(笑)。 馬渕 そういうことです(笑)。 ――ところで、これから日本でも本格的なオンライン・トレーディングのブームが到来すると思うのですが、馬渕さんからご覧になって、これだけは注意した方がいいというポイントがありますか? 馬渕 これは本でも強調したのですが、いちばん重要なのは教育Educationです。デイ・ トレーダーの7割から8割が損失を出してしまうというのは、満足な教育を受けていないというのが最大の原因です。アメリカでも、1日だけ講習を受ければ、安い証拠金ですぐにDTを始められるようなところも増えてきています。もちろん、そんな簡単に儲けることなんてできませんから、こうしたところの客たちは次々と損を出してトレードが続けられなくなってしまう。しかし、DT予備軍はいくらでもいますから、店としては、それでもぜんぜん構わないわけです。 ――そうした過熱感が、アトランタの惨劇の背景にはあったということですか。 馬渕 そうです。そのため現在は、DTセンターを運営する業者の間でも、顧客に対する教育をいかに充実させ、リスクを抑えて利益を上げられるようにするか、ということが大きなテーマになってきています。9月に行なわれた第1回Day Trading Expoの基調講演を行なったPristineのオリバー社長も、そのことを強調していました。 ――基本的な質問で恐縮なのですが、ちゃんとした教育を受ければ、必ず利益を上げられるようになるものなんですか? 馬渕 きちんとルールを守れれば、可能性は非常に高いですね。ただしその前に、DTとは何か、ということから説明しなければなりません。 Day Trading Expoの講演でオリバー社長は、「デイ・トレーダーとは短期売買専門のトレードをする投資家のことではなく、毎日株価をチェックし、マーケットにアクセスする人すべてが、デイ・トレーダーである」と述べています。
――それなら、私も立派なデイ・トレーダーです(笑)。馬渕 その通りです。ですからまず、DTが特殊なものだという思い込みから自由にならなければなりません。そのうえで、次のように考えてみてください。 ご存知のように、株式投資にはウォーレン・バフェットのような長期投資からDTまで、 さまざまなスタイルのトレード方法があります。この関係を大雑把に言うと、保有期間が長くなればリスクも小さくなるがリターンも小さくなる。逆に、保有期間が短くなればなるほどリスクもリターンも大きくなります。 市場が右肩上がりであれば、適当な株を買って、あとはそのことを忘れていても、5年> もすればそこそこの利益は出ます。仮に一時的に下がったとしても、そのうちに回復することもできるでしょう。しかし、保有期間が短くなれば、そう簡単にはいきません。マーケットを読んで、ルールに則って投資しなければ、丁半博打と同じになってしまいます。これでは、損しない方がおかしいくらいです。 私は、長期投資からDTまで、それぞれのリスクとリターンを考慮しながら、「時間のポートフォリオ」を組むことが大事だと考えています。これまでは複数の市場に分散投資する「マーケットのポートフォリオ」だけしか考えられてませんでしたが、そこに時間の観念を持ち込んだことが、DT革命の重要なポイントです。 この「時間のポートフォリオ」を上手につくるための技術と知識を身に付ければ、株式投資で大きな財産を築くことは十分可能だと思います。 ――そのためには、どうすればいいのでしょう? 馬渕 それこそ、私の本を読んでください(笑)。私の知っている知識は、あの本にすべて書いてあります。 ――なるほど。もういちど読み返してみます。では最後に、馬渕さんの今後の活動予定を教えていただけますか? 馬渕 私とジェス、それにAll Techのトップ・トレーダーだったマークの3人で、Pristine Northwestという会社を設立しました。代表的なDT情報サービス業者のPristine社の西海岸部門を任された、ということです。9月にはシアトルで、日本から30名以上の方を招いて、日本語によるDTセミナーも開催しました。その際、「1週間以上の休みをとってアメリカまで行くのは無理だけど、ぜひセミナーに参加したい」という人も多かったので、今度はぜひ、日本でも本格的なDTセミナーを開催してみたいですね。 それと、これは私自身で、Daytradenet.comというWEB中心の会社を設立したのですが、ここを通じてアメリカ株情報を日本語で提供する予定で、手始めに、全世界で7万人近くの人が加入しているPristine社のマーケットニュースや銘柄推奨サービスを日本語に翻訳してメール配信しようと考えています。 ――それは、英語の苦手な私のような人間にとっては朗報ですね(笑)。 馬渕 最初にお話したように、私自身、50歳ちかくなってから自分が株式のトレーダー になるなんで夢にも思いませんでした。こんな私でもそれなりの財産を築くことができたのですから、若い人たちなら、もっと大きな成功をつかむこともできるはずです。私の人生も後半戦に入ってきたし、いちどはリタイアを決めた人間ですから、こんなかたちで、これからトレードを始めようという方のお役に立つことができて、ほんとうに幸せだと思います。日本からも、続々と成功するデイ・トレーダーがでてきてほしいですね。 (1999年10月) *Daytradenet.comの最新の活動は http://daytradenet.com/ 参照。 |