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海外投資を楽しむ会の主張(3) 海外投資の税金をどう考えるか? 『ゴミ投資家のための税金天国入門』発売後、「これは脱税のすすめですか?」という質問を何人かの方から受けました。この問題に関して、若干のコメントを試みてみます。 日本が民主主義国家であり、私たちが日本国民としてさまざまな公的サービスを受けている以上、法で定められた税金を払わなくてもいいという理屈は、どう考えても成立しません。ルソーの社会契約論を持ち出すまでもなく、納税は、国家に対して市民としての権利を主張するための絶対条件だからです。このことを逆に言うと、税金を納めない人は、市民としての権利を剥奪されても文句は言えない、ということになります(貧困層など一部例外はあります)。 私たちのような、所得のすべてを捕捉され、源泉徴収されるサラリーマンの立場からすると、日本という国の問題は、税金を払わない人が多すぎるということにあります。それも、パチンコ店や風俗業のような、どちらかといえば社会の裏方にあるような業種で納税率が低いというのはまだわかりますが、医師・病院経営者や農業従事者、自営業者、中小法人など、「正業」に属する職種で毎年多額の申告漏れが生じているというのは、いかにも異常です。このことを簡単に表現すると、日本という国は、サラリーマンを除けば、ずっと「税金天国」だった、ということになります。この国のサラリーマン以外の人たちにとっては、なにも試行錯誤が必要でリスクのあるオフショアでの資産運用で「脱税」する必要などありません。なぜなら、もっと簡単に資産を隠したり、税金を払わない方法がいくらでもあるからです(長信銀の発行する割引債は匿名で購入できますし、赤字法人を使えば「税金逃れ」は自由自在です)。 私たちは一貫して、海外投資はサラリーマン投資家にとっての、数少ない「合法的節税」の機会である、という立場に立っています。それ以外の、日本にいながらにして「税金天国」状態の人たちがオフショアで何をされてもご自由ですが、それは、私たちの知るところではありません(知りたいとも思いません)。 同様の理由で私たちは、海外で運用した資産の日本への持ち込みに関しても、積極的には取り扱いません。現在の税務当局の対応を見ると、海外への送金に関しては、マネーロンダリングなどの違法行為の恐れがあるもの以外は、少額であればさほど厳しくチェックされてはいません(海外に送金しただけでは税金が取れないからです)。しかしその一方で、海外から日本国内への送金は、課税できる可能性があるために、かなり慎重に調べられるようです。 今後、日本人の海外資産運用が活発になるにしたがって、日本に持ち込んだ外貨建て資産の課税をめぐるトラブルも増えてくるでしょう。しかしそれは今後の問題として、現時点では、「払わなければならない税金はきちんと納め、不満や疑問点があったら納得のいくまで交渉しよう」としか言えません(私たち自身が、今後5〜10年は海外で運用している資金を国内に戻す予定がないからです)。 ところで、「ゴミ投資家」シリーズでも述べてきたように、既得権者の利益を守って、「10・5・3」といわれるような歪(いびつ)な税負担を国民に強いるよりは、アメリカのような国民総背番号制を導入して申告漏れを根絶し、課税ベースを大きくすることで、所得税率や法人税率を下げた方がよっぽどマシです(大蔵省の手先と思われるかも知れませんが)。そのついでに、極端に高い相続税率も見直して、親が安心して財産を子どもに残せるような税制にすれば、有権者の支持だって集まるでしょう。 その際、ここはぜひとも強く主張したいのですが、国民総背番号制を導入するにあたっては、税の源泉徴収をやめて、サラリーマンであっても納税額を自己申告するように改めるべきです。こうすることによって、私たち日本人ははじめて納税者としての自覚を持ち、行政の放漫経営に真剣に怒ることができるようになるのです。自分の税額も知らないサラリーマンと、税金をまともに払っていない自営業者ばかりが集まった国で、国民が行政の支出を厳しくチェックする「小さな政府」なんてできるはずはありません。 話は変わりますが、脱税が許されないのは、法に反して税金を逃れようとするからです。このことを逆に言うと、日本は法治国家の自由主義社会ですから、法に反さないことであれば何をしても自由だということになります(こうした考え方に反発する人もいるかもしれませんが、今世紀を代表する社会学者であるフリードリッヒ・ハイエクは、「自由主義の本質は、法で禁じられたこと以外はすべて許されることにある」と定義しました。ハイエクによれば、表現の自由、職業選択の自由、恋愛の自由のように、自由を積極的に定義するよりも、こうした「消極的な自由」の方がはるかに健全であるということになります)。 こうした理解に立てば、日本国のために積極的に納税するのも自由だし、海外の金融機関を利用して合法的に節税するのも自由だということになります。あとは個々人の価値観の問題ですから、他人がとやかく言う問題ではありません。とくに、超優良納税者であるサラリーマンが、わずかな貯蓄を海外に投資して節税しようとすることを、咎められるいわれはありません。税務署もそんなことを考えるよりは、日本国内の「税金天国」状態をまず最初に解決するべきでしょう(最近、「国民年金はどうせ破綻するんだから私は払いません」というフザけた主張がマスコミなどに取り上げられていますが、年金の優良納付者でもある私たちは、こうした甘えた論理も支持することはできません。こういう論理を展開する人たちは、国民年金の滞納分は私たちサラリーマンが支払った厚生年金から補填されているという事実にもっと思いをはせるべきでしょう)。 さて、納税は近代国家と市民との契約であると述べましたが、そうであれば、「この契約を解除してしまえば税金を納めなくてもいいのではないか」という考え方が、当然生まれます。こうした思想は、日本でも50年代、60年代の左翼運動の時に見られましたが、そのほとんどは「日本という国家は認めないが、市民としての私の権利は守られるべきだ」という奇妙な理屈(誰が市民としての権利を守るのか?)をとなえていただけなのでやがてすぐに破綻してしまいました。その後、日本ではこうした過激思想は影をひそめましたが(唯一の例外はオウム真理教でしょう)、実はアメリカで、まったく違う形で復活しています。それが、リバータリアニズム(絶対自由主義)です。 リバータリアン(リバータリアニズムを実践する人たち)の主張は、「自分たちのことは自分たちでやるから国家は手を出すな」というものです。日本のメディアは、こうした一連の運動を「保守派」「右翼」「伝統回帰」などという言葉で括っていますが、リバータリアニズムは現在のアメリカ民衆思想の大きな潮流になっており、共和党を通じてワシントンをも動かす軽視しがたい力を持っています(日本でもっともよく知られたリバータリアンがクリント・イーストウッドで、アメリカ研究者・副島隆彦氏の『アメリカの秘密』〈メディアワークス刊〉に、彼の代表作である『許されざる者』がリバータリアニズムの思想を表現した傑作であるという卓抜な分析があります)。 彼らリバータリアンのうち、もっとも過激な一派は、納税の義務を拒否しています。その代わり、行政によるサービスもいっさい受けません。自分たちの街の治安は自分たちで守りますし、道路や橋も自分たちでつくります。アメリカの海外派兵に反対し、国連を否定し、多国籍企業を攻撃します。一見すると過激で無謀なようにも思えますが、考えてみれば、非常に筋の通った論理と実践です。今後の展開はわかりませんが、アメリカで勃興しつつあるリバータリアニズムの運動が、近代社会の根幹にある国家との契約を解除し、自らがコミュニティーとして自立していくという、まったく新しい試みであることだけは確かだと思います。 国民総背番号制で、自己申告による厳しい徴税義務が課せられるアメリカだからこそ、こうした過激な思想が生まれます。税金を適当にごまかしながら、税務署とやなあなあでやっていけばいいと考えているどこぞの国よりは、よほど健全ではないでしょうか。
『ゴミ投資家のための海外ファンド入門』Prologue「『ゴミ投資家』とは何者か?」を改稿
1999年3月15日 |