臆病者のための株入門


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あとがき

追証がかかった日

 5年ほど前のある日の夜、私は自宅でアメリカから電話がかかってくるのを待っていた。時計の針が午後11時を差したとき、電話が鳴った。それは先物取引会社からのマージンコールで、私は損失の出ているポジションを手仕舞うか、追加の証拠金を送金するか、どちらかを伝えなくてはならなかった。この状態を俗に「追証がかかる」といい、破滅への一里塚とされている。

 追証は、株価が大きく下落した(空売りをしている場合は上昇した)場合に発生する。悩ましいのは、こうした大きな変動のあとは、リバウンドの起きる可能性が高いことだ。統計的には、損切りするより追加の証拠金を払ってマージンコールを解消したほうが有利とされている。だが期待に反して株価がさらに下落(上昇)すると、損失が拡大して資産のすべてを失う。株式市場の歴史には破算した投機家たちの無数の墓標が刻まれているが、ただ1人の例外もなく、この過程を忠実に辿って最期の日を迎えたのだ。

 私は週末の2日間を使ってどうするか悩み、それでも結論を出せなかった。マージンコールの電話が鳴った瞬間に損切りする諦めがついたのだが(もともと根性がないのだ)、案の定、その日のナスダックは大きく反発し、そのまま持っていれば損失のほとんどを取り返すことができた。

 私が投機を勧める気にならないのは、必ず損をするからだ。株式投資が確率のゲームである以上、それは避けることのできない運命みたいなものだ。プロのギャンブラー(投機家)はそのリスクに耐えつつ、確率的に優位なポジションをとるためにありとあらゆる可能性を探る。それでもしばしば失敗して、なにもかも失う。

 投機において、損するリスクを想定していないと、ものすごく不愉快な思いをすることなる。それを承知でゲームとして楽しむのならなんの文句もないが、これまでふつうに生きてきたひとがわざわざそんな体験をすることもないと思うのだ。

 1990年代の半ばから友人たちと投資や金融市場について勉強をはじめ、その成果を「ゴミ投資家」シリーズ(メディアワークス刊。現在は絶版)というマニュアルにまとめた。その過程で、オフショア(タックスヘイブン)の銀行に口座を開いたり、アメリカや香港のインターネット証券会社で取引をしたり、シカゴの先物市場でデリバティブ取引をしたり、いろいろと面白い体験ができた。本書は、その頃の試行錯誤をもとに書かれている。

 2001年の夏、私はふと思い立って小説を書きはじめた。それが処女作となった『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)で、その時以来、投資らしき投資はほとんどしていない。最近の事情には不案内で申し訳ないのだが、それでも株式投資の基本は変わらないと思っている。時代や環境がさまざまでも、儲けたいという人間の欲望は同じだからだ。

 金融市場で日々行なわれているゲームに興味を失ったわけではない。いまでも先物・オプションは人類が発明した最高のギャンブルだと思っている。それでも、40代も半ばを過ぎると、人生の時間は有限だと知るようになる。小説を書きながら片手間で投資をする(あるいは投資をしながら片手間で小説を書く)ほどの才能に恵まれていない以上、なにかを選び、なにかを捨てなくてはならなかったのだ。

 投資の世界はさまざまな情報や憶測や願望や嘘にあふれていて、気をつけていないとすぐに自分を見失ってしまう。そんなことでお金や時間を無駄にしないために、私のささやかな体験がなにかの役に立つならば、これほどうれしいことはない。

 最後にお断りしておくと、私自身はここで述べたような「合理的な投資法」を実践しているわけではない。

 ひとには、正しくないことをする自由もあるからだ。

2006年2月 橘 玲


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